生きる意味

先日テレビで「絵門裕子」さんのドキュメンタリー
を放送していました。
自分の最期の瞬間まで「生きた」様子が強く伝わり
ました。「生きた」というのは「息をしている」とか
「生きながらえてる」というようなネガティブなもの
ではなく、最期のときまで自分の生を慈しむように
自分のするべきこと、自分の生きる意味を確かめる
かのような時間を送ったという意味です。

友人を約一年前に同じようにガンで見送りました。
しかしその友人も最期の時間がくるまで「生きた」
と思えます。普段「生きる」喜びや感謝を忘れて
すごしてしまっている自分の生きる「時間」の質
と、彼らのそれを比べるわけではありませんが
自分も最期のときがわかったときに、初めてその質
の大切さに気づくのであれば、少し哀しい。

今日もあるソフト会社の担当とお会いします。
若いIT企業の人たちと会うのは刺激になります。
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by pridm | 2006-05-11 09:09 | おはようブログ  

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